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去年の夏はこうだった 「かふう」連載より 落平樋川でつかまえて 日差しの強さがハンパない夏の一日、自転車乗って那覇の町をぶらぶらするのには、なかなか覚悟がいる。よってしばらく那覇ポタリングしていなかったのであるが、ふと思い立って午前中、奥武山あたりでペダルを漕いでみた。 奥武山公園の駐車場に車を置き、折りたたみ自転車を取り出し出発。まぁこの時点で激しく暑いのであるが、風は心地いいのだ。だってここは、ちょいと昔、海の上だったのだからね。 奥武山はもともと国場川の河口、漫湖に浮かぶ離れ小島である。松がきれいな風光明媚な島として知られていたが、明治になって公園として整備されて以来、幾度かの埋め立てにより、垣花側と地続きになっている。今ではこの一帯が島であったことを意識する人は多くないだろう。 奥武山を挟んで、那覇港の対岸の垣花には、浮島・那覇にとって大切な水源である落平(ウティンダ)と呼ばれる樋川(ヒージャー)があった。湧き水が崖から海面に直接落下していたことからその名がついたという。水源が乏しかった那覇に生活用水を供給するために、この樋川に伝馬船を接岸して、桶に水を溜めて運んだというから、かなりの水量があったことだろう。 「沖縄セルラースタジアム那覇」(要するに奥武山の野球場だ)の南側にある落平を見に行く。崖状の地形はわずかに残っていて、細く小さくにじみ出ているせせらぎがある。絶え間なく車が通りすぎるこの場所に伝馬船が浮き並んで水を溜めていたといわれても、その姿を幻視することは、物好きな我が想像力を駆使しても難しい。 でも僕がまだ少年だった頃、この辺りをバスに乗って通る度に、崖の窪みからぽとぽとと水が滴り落ちていた印象的な風景を覚えているのだから、復帰前後もある程度は、落水の面影があったのではないだろうかとしばし思案。 コンクリートで固められることなく、わずかながら緑が茂っている落平の一角だが、僕は自転車で通るたびに、この斜面を手作りの花壇のように整備している男性を見かける。本当に毎回いるのである。同じ人なのかどうかも分からないのだけど、今日もいた。多分地域の方だと思うのだが、その姿は、ここがかつてとても大切な場所であったことを伝えてくれる。地形が残っていれば、まだ物語は続いていくのだ。 その横は、落平の崖を覆い隠すように、沖縄県住宅供給公社のビルがある。面白いのは、このビルを突き抜けるようにして、落平樋川の注ぎ口が今も設置されているのである。一種の記念碑として残したのか、あるいは沖縄では樋川は拝所でもあるからつぶせなかったのだろうか。よく見ると、「ウティンダ 一九七六年六月二十七日」と表示されている。なるほど僕の記憶の中の、水が滴るウティンダは、その頃に消滅したのかもしれない。 ぼとぼとと勢いもなく流れる水に手を伸ばしてみる。暑さがほんの少しだけ和らいだ気がした。
by borderink__shinjo
| 2012-03-07 18:43
| 那覇
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